日々考えていることを思うままに。ひっそりと栃木SCを応援しつつ、かなり脱線してます。(注:エキサイトブログを除き、リンクのないトラックバックは受け付けない設定となっております)


by silky_wing

「行政の役割」と民営化(その1)

※本エントリは某所でさせていただいた同名の報告の内容を整理したものです。教科書的な議論をわかりやすく紹介することが目的なので、わかりにくかったらコメントください。修正いたします。

本報告のポイントは3点。
○行政の役割について、もう一度公共経済学や行政学の基本的な議論に立ち返って考えてみよう。
○ただし、全てを行政が直接運営しなければならないものではなく、「効率性」向上のため、民間企業やNPO等によるサービス供給を取り入れる部分も必要。
○とはいっても、必ずしも民営化が「効率」改善に資するとは限らない。また、「効率性」は単純に議論されるべきものではなく、その仕事が社会的に担っている役割まで考えた上で議論することが必要。

1.行政の役割
 近年、行政の役割を縮小し、「小さな政府」にすべきということが盛んに議論されている。危機的な財政状況のために「ない袖は振れない」のかもしれないし、行政活動の範囲を最終的に決定するのは政治の役割だから、世論を反映するのは当然ともいえる。しかし、こういう時だからこそ、行政の役割について、「そもそも論」から考えてく必要があるのではないか。ここでは、行政学の代表的な教科書の一つである、西尾勝『行政の活動』(有斐閣,2000年)での整理を中心に、行政の役割って何だろう?という議論を整理することとしたい。

(1)課題の公共性(経済学の「公共財」の理論)
 経済学では、公共財は、消費の「非排除性」と「非競合性」により定義されている。そして、その代表例としては、灯台があげられる。灯台は、そこを通る人を等しく照らし(非競合性)、かつ、費用を払わなかった人に対してだけ照らさないというようなことは不可能(非排除性)である。こうした性質を持つような種類のサービス(国防、警察などが代表例として挙げられる)は、公的なセクターにより供給されることが望ましいとされている。
 また、教育のように、学習塾や私立学校などにより、個別にサービスを提供できるものでも、公共財としての性質を持つ場合がある。例えば、高等教育の場合には、教育を受けた人が優れた発明をすることで技術発展をしたり、事業を興すことで雇用を創出したりするというように、「外部効果」が存在するので、公的な資金が投じられることが認められているのである。こうした財のことを、準公共財といい、前者の灯台、国防、警察などの純粋公共財と区別されている。すなわち、灯台は純公共財で、東大は準公共財なのである(←これ、勉強会で話をしたらウケなかったんだよなあ。自信あったのに・・・)

(2)権力的な問題解決
 西尾前掲書では、ある集落にある川の汚染が例として挙げられている。集落の住民の生活廃水により川の水が汚れると、みんなが損をする(これを、外部不経済という)。この場合、自主的に排水を流さないルールを作ることも考えられるが、自分だけ排水を流して、他の人がルールを守れば自分が得をするが、みんな同じことを考えれば、結果として排水は流し放題になってしまう。これが、いわゆる「囚人のジレンマ」の状況である。これに対する対応としては、町内会などの自主的な組織が、ルールおよび、問題が起こったときの紛争解決の仕組みを整備することも考えられるが、「社会的なコスト」を考えれば、民主的な付託を受けた公権力がこうした仕事を担う方が、効率的であるために、行政が権力的な問題解決の主体となることが望ましいと考えられてきた。

(3)「自然独占」と「クリーム・スキミング」
 前者の公共財の用件をみたさないようなサービスでも、公的な主体が実施することが望ましい場合もある。
 たとえば、電力事業のように、初期投資に莫大なコストがかかるような事業の場合、市場競争のままにすると、地域で1社が独占的に事業を行うことになる。その結果、価格統制が図られてしまい、社会的にはかえって費用対効果が悪くなってしまう。これを、「自然独占」といい、公社事業の根拠とされている。
 また、現在、郵政3事業の民営化が議論されているが、郵便事業は、全国一律に同料金によるサービスが供給されている。これを、民間の事業者が行うと、利益率の高い大都市圏のみで事業を実施し、それ以外の地域ではサービスそのものが供給されなくなってしまう場合がある。このような現象のことを、「クリーム・スキミング」といい(ハンドクリームのビンの真ん中の部分を指ですくいとる比喩からこの言葉がついたそうです)、公的に事業実施を行う根拠とされてきた。

2.行政の役割の縮小
 これまでの行政は、(1)から(3)を直接実施してきた。しかし、これらのいずれについても、かならずしも行政自らが行わなくていいのではないかという議論もある。
 (1)については、教育であれば、全部私立学校にして、公的なセクターの役割は奨学金制度を整備することだけにとどめるという方法もある。こういうやり方は介護保険などでも同様で、制度導入時には「措置から契約へ」ということが言われた、行政は費用の徴収と配分のみを行い、事業の実施は民間という流れである。
 (2)については、これを行政のコアの役割とする議論もあるが、近年では行政が紛争の解決に果たす役割を縮小すべきという考え方もある。しかし、僕の住んでる地域では、資源ごみは自主回収だったのが、区が回収することにいつの間にかなっていた。やっぱり、一部のまちの「世話人」的な人の負担が大きくなってしまったのかな?
 (3)については、公共サービスと民間サービスの共存や、電話のようなインフラの貸し出しなどの技術的な工夫によって現実に民営化が進んでいる。ただし、公共交通での民営化のように、赤字路線の廃止によって、「交通弱者」が出てしまうという「弊害」もある。また、カリフォルニアで大停電があった際の原因にも、市場が機能不全があったことが指摘されている。

(今日はここまでで力尽きました。次回に続きます。)
[PR]
by silky_wing | 2005-05-30 20:34 | 研究