日々考えていることを思うままに。ひっそりと栃木SCを応援しつつ、かなり脱線してます。(注:エキサイトブログを除き、リンクのないトラックバックは受け付けない設定となっております)


by silky_wing

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※本エントリは某所でさせていただいた同名の報告の内容を整理したものです。教科書的な議論をわかりやすく紹介することが目的なので、わかりにくかったらコメントください。修正いたします。

本報告のポイントは3点。
○行政の役割について、もう一度公共経済学や行政学の基本的な議論に立ち返って考えてみよう。
○ただし、全てを行政が直接運営しなければならないものではなく、「効率性」向上のため、民間企業やNPO等によるサービス供給を取り入れる部分も必要。
○とはいっても、必ずしも民営化が「効率」改善に資するとは限らない。また、「効率性」は単純に議論されるべきものではなく、その仕事が社会的に担っている役割まで考えた上で議論することが必要。

1.行政の役割
 近年、行政の役割を縮小し、「小さな政府」にすべきということが盛んに議論されている。危機的な財政状況のために「ない袖は振れない」のかもしれないし、行政活動の範囲を最終的に決定するのは政治の役割だから、世論を反映するのは当然ともいえる。しかし、こういう時だからこそ、行政の役割について、「そもそも論」から考えてく必要があるのではないか。ここでは、行政学の代表的な教科書の一つである、西尾勝『行政の活動』(有斐閣,2000年)での整理を中心に、行政の役割って何だろう?という議論を整理することとしたい。

(1)課題の公共性(経済学の「公共財」の理論)
 経済学では、公共財は、消費の「非排除性」と「非競合性」により定義されている。そして、その代表例としては、灯台があげられる。灯台は、そこを通る人を等しく照らし(非競合性)、かつ、費用を払わなかった人に対してだけ照らさないというようなことは不可能(非排除性)である。こうした性質を持つような種類のサービス(国防、警察などが代表例として挙げられる)は、公的なセクターにより供給されることが望ましいとされている。
 また、教育のように、学習塾や私立学校などにより、個別にサービスを提供できるものでも、公共財としての性質を持つ場合がある。例えば、高等教育の場合には、教育を受けた人が優れた発明をすることで技術発展をしたり、事業を興すことで雇用を創出したりするというように、「外部効果」が存在するので、公的な資金が投じられることが認められているのである。こうした財のことを、準公共財といい、前者の灯台、国防、警察などの純粋公共財と区別されている。すなわち、灯台は純公共財で、東大は準公共財なのである(←これ、勉強会で話をしたらウケなかったんだよなあ。自信あったのに・・・)

(2)権力的な問題解決
 西尾前掲書では、ある集落にある川の汚染が例として挙げられている。集落の住民の生活廃水により川の水が汚れると、みんなが損をする(これを、外部不経済という)。この場合、自主的に排水を流さないルールを作ることも考えられるが、自分だけ排水を流して、他の人がルールを守れば自分が得をするが、みんな同じことを考えれば、結果として排水は流し放題になってしまう。これが、いわゆる「囚人のジレンマ」の状況である。これに対する対応としては、町内会などの自主的な組織が、ルールおよび、問題が起こったときの紛争解決の仕組みを整備することも考えられるが、「社会的なコスト」を考えれば、民主的な付託を受けた公権力がこうした仕事を担う方が、効率的であるために、行政が権力的な問題解決の主体となることが望ましいと考えられてきた。

(3)「自然独占」と「クリーム・スキミング」
 前者の公共財の用件をみたさないようなサービスでも、公的な主体が実施することが望ましい場合もある。
 たとえば、電力事業のように、初期投資に莫大なコストがかかるような事業の場合、市場競争のままにすると、地域で1社が独占的に事業を行うことになる。その結果、価格統制が図られてしまい、社会的にはかえって費用対効果が悪くなってしまう。これを、「自然独占」といい、公社事業の根拠とされている。
 また、現在、郵政3事業の民営化が議論されているが、郵便事業は、全国一律に同料金によるサービスが供給されている。これを、民間の事業者が行うと、利益率の高い大都市圏のみで事業を実施し、それ以外の地域ではサービスそのものが供給されなくなってしまう場合がある。このような現象のことを、「クリーム・スキミング」といい(ハンドクリームのビンの真ん中の部分を指ですくいとる比喩からこの言葉がついたそうです)、公的に事業実施を行う根拠とされてきた。

2.行政の役割の縮小
 これまでの行政は、(1)から(3)を直接実施してきた。しかし、これらのいずれについても、かならずしも行政自らが行わなくていいのではないかという議論もある。
 (1)については、教育であれば、全部私立学校にして、公的なセクターの役割は奨学金制度を整備することだけにとどめるという方法もある。こういうやり方は介護保険などでも同様で、制度導入時には「措置から契約へ」ということが言われた、行政は費用の徴収と配分のみを行い、事業の実施は民間という流れである。
 (2)については、これを行政のコアの役割とする議論もあるが、近年では行政が紛争の解決に果たす役割を縮小すべきという考え方もある。しかし、僕の住んでる地域では、資源ごみは自主回収だったのが、区が回収することにいつの間にかなっていた。やっぱり、一部のまちの「世話人」的な人の負担が大きくなってしまったのかな?
 (3)については、公共サービスと民間サービスの共存や、電話のようなインフラの貸し出しなどの技術的な工夫によって現実に民営化が進んでいる。ただし、公共交通での民営化のように、赤字路線の廃止によって、「交通弱者」が出てしまうという「弊害」もある。また、カリフォルニアで大停電があった際の原因にも、市場が機能不全があったことが指摘されている。

(今日はここまでで力尽きました。次回に続きます。)
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by silky_wing | 2005-05-30 20:34 | 研究
週末に関西で学会があり、昨日移動日だったので、
某市の職員勉強会に参加させていただきました。

報告は行政の役割に関する公共経済学の基本的な議論を参照しつつ、
近年の民営化の議論に関する若干のコメントをさせていただくというものでしたが、
(概要については、読みやすい形で後日アップいたします)
拙い報告におつきあいいただき、ありがとうございました。

で、感想をいくつか。
某氏の方、キャラ濃すぎです!
(というと、私は違います!と反論される方もいると思いますが)
さすがは、「個性を伸ばし育てる」が基本方針の市だけのことはあります。
東京の某財団に派遣されている方だけじゃなく、キャラの層が厚いことを実感いたしました。

あ、でも誤解されないように言っておきますけど、全身全霊で褒め言葉ですよ。
実際、議論しててすごく優秀だと思いましたし。
(私がそんなことを言える立場にないのは承知しておりますが)
議論が曖昧な部分に関していただいたコメントの一つ一つも、
非常に的確なものだったと思います。

また、その土地の名物をいろいろ教えていただき、ありがとうございました。
東京といっても、いろんなトコロがあるんですよ!
東京にお越しの際には、面白い所や人をご紹介いたしますので、
ぜひ一声かけてくださいね。
というわけで、このblogでも、延び延びになってましたが、
東京のいろんな街の紹介もしていきたいと思います。
(もしリクエストがありましたら、コメント欄にでも書いてください。)

それでは、これから学会に行ってきます。
PCでメモ取りながらだから大丈夫だと思うけど、寝ないように気をつけないと・・・
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by silky_wing | 2005-05-28 08:03 | 研究
(このエントリは、「トルシエ日本とジーコジャパン」のつづきです。)

土曜日、NHK ドキュメントスポーツ大陸「東洋の魔女と鬼の大松~東京五輪・女子バレー~」を観た。

「イっちゃってる!」
正直見始めたときはそう思った。だって、通常に9時から5時まで勤務した後、3時から4時まで練習してるんですよ。その上、映像から見える監督の目はどうみても、あっちの世界の人のそれだ。練習風景は現代スポーツの常識からすれば、単なるイジメにしか見えない。しかし、大松監督は求心力を維持しつづけ、世界選手権、地元開催のオリンピックと、当時最強と言われたソ連を連続して撃破し、世界一になった。なぜこのような成功を収めることができたのだろうか?そこには、3つのポイントを指摘することができる。以下、またしてもサッカーの話で恐縮だが、事例を挙げながら説明していきたい。

(1)結果を出し続けていること
当たり前のことのようだが、「厳格な」監督ほど、結果が出なかった時には悲惨な結果となる。求心力を失い、内部崩壊していく過程は、他のタイプの監督のそれと比べても、その末路は哀れなものである。ファン・ハールのバルセロナ末期や、オランダ代表がその典型であろう。一般に、サッカー監督の場合、フィリップ・トルシエのように、選手時代の実績のない監督ほど、カリスマ性がないために理論にすがるのか、単なるコンプレックスの裏返しなのか、理論や戦術にこだわり、選手に厳格に接することが多い。しかし、こうしたやり方は、「結果」が伴わなければ、誰もついてこなくなるものである(※)。そうならないためには、残りの2つのポイントを満たすことが必要になる。

(2)選手から愛されていること
厳しく接して、かつ選手から愛されることは難しい。しかし、それを両立させなければ、結果が出ない時期があったときに乗り越えることができず、チームそのものが内部崩壊してしまう。そして、スポーツに限らない話ではあるが、最善の準備をしたとしても、結果の出ない時期というのは、必ず存在するものである。「東洋の魔女」の場合には、「監督は背が高くてカッコよくて、彼氏にしたいような人だった」という選手の声があったように、そこには、女性選手と男性監督という、特殊な構図があったのかもしれない。しかし、一般的には、この両者の両立が監督には求められる。トルシエの場合には、お世辞にも選手から愛されていたとはいい難い。ワールドユース→オリンピック代表→A代表の順に若年層から結果を出し、その選手を上のカテゴリに引き上げることで、かろうじて求心力を維持できたのではないか。アテネオリンピックの代表監督は、今年のJリーグの試合前コメントからみると、明らかに一部の選手からは恨みを買っている。彼自身はその言動から「いい人」なのかもしれないが、コーチ時代に師事したトルシエの影響があって、敢えて冷酷に選手に接したのだろう。しかし、先制点を取られただけで浮き足立ってしまった選手を見ると、それは裏目に出たとしか評価できないのではないか。

(3)「反発」への適切な対処がなされていること
「東洋の魔女」の事例では、月に一度は映画に連れて行ったりなどのエピソードがあった程度であまり多くは語られていなかったが、一部の選手は反発した時期もあったこと、それを乗り越えたことは間違いないようである。このあたりはトルシエに関するネット上の議論でも多くの指摘のあるところだが、トルシエは自分に反発した選手を冷遇するどころか、逆にその闘争心を評価してチャンスを与えている。前出の戸田がその典型だが、松田、森岡あたりのエピソードもよく知られている。反対に、アトランタオリンピックの代表監督は、そのあたりは明らかに「下手」である。その過程は、金子達仁『28年目のハーフタイム』に詳しいが、オリンピックでの一部の選手の反発に対しての対応は、内部管理に失敗しているといえるのではないか。彼はその後も、毎年のようにJリーグで優勝候補に挙げられるほどの戦力を有しながら、選手との衝突が伝えられている上にリーグ優勝を果たしていないところをみると、こうした見方はほぼ間違いないといえるだろう。

このblogの読者には、人を率いる立場の人はほとんどいないと思うが、将来、そうした立場になった際には、上記のポイントを頭の片隅にでも置いていただければ幸いである。

(※そういう意味では、モウリーリョやサッキは偉大である。)
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by silky_wing | 2005-05-23 23:15 | その他サッカー

日本 0-1 ペルー


blogを開設して初のA代表マッチなので、何を書いてやろうかと楽しみにしつつTVに向かう。

(゚Д゚)ハァ?この試合の何を書けと?

blogの神様は、私に試練をお与えなのでしょうか?(笑)
と冗談はここまでにして、ペルーはなかなかの好チーム。4バックでキチンと守ってカウンターというのは、2年前のキリンカップで来日したパラグアイに近いイメージかな。マッチメイクとしては良かったと思います。
内容については・・・テストマッチというか、有料練習試合というか・・・鈴木師匠のキーパーとの1対1は右足だったこともあって、入る気がまったくしなかった。さすがは師匠。こんなどうでもいい試合では点を取らないってワケですね。(本気で褒め言葉です。)
ハンガリー戦といい、こういう「不運」が起こるのはことごとく親善試合という、ジーコの「悪運」の強さも、今日に始まったことではないし。

(2年前のコンフェデは公式戦だけど、コンフェデの位置づけ自体微妙だし、↓こういう見方もあるので。)
岡田○初めての公式戦で結果を出したかったジーコだけど、グループリーグ敗退。全く結果を残せなかった。
藤野●ところが結果的に、これが実はジーコにとって最良の結果だったんだよね。だって、もしグループリーグを勝ち上がったら準決勝はカメルーン戦。で、その次が3位決定戦のトルコ戦でしょ。
岡田○まあ、カメルーンには勝てなかっただろうしね。日本のレギュラー陣はグループリーグの3連戦でもう体力的にはボロボロ。日本に勝ってトーナメントに進出したコロンビアだって実際連敗だから。

サポティスタ「ジーコジャパンの楽しみ方」第8回~コンフェデ杯編~

収穫らしい収穫といえば、三浦淳のの右が思ったより機能したことくらいかなあ。でも、これも右サイドだったら、田中隼とか駒野とかウチの市川だっているだろうというのを言いっこなしというのを前提での話だし・・・

とにかく、6月の2試合が全て。祈るような気持ちで応援しています。

※関係ないけど、レコーダのHDDが一杯になってたので、直接DVD-Rに録画しようとしたら、録画に失敗してしまった。メディアへの直接録画がこれだけ不安定だと、コピーワンスとか導入できないと思うんだけどなあ・・・
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by silky_wing | 2005-05-22 21:12 | 日本代表
前園真聖。

ドーハの悲劇・Jリーグ開幕でサッカーに関心を持ち、
アトランタ五輪最終予選に感激し、本戦で歓喜と失望を味わい、
フランスワールドカップ最終予選で七転八倒した僕らの世代にとっては、
その名前には、特別な響きがあるはずだ。

その前園が引退するという。
日刊スポーツ「31歳の決断…前園が現役引退」

え??

輝きが戻らなくたっていいよ。カッコ悪くたっていいよ。J2でもJFLでも地域リーグでも、カテゴリなんてどこでもいいよ。どこかでサッカー続ければいいじゃん。フットサルだって、ビーチサッカーだってあるじゃん(もちろん、転向した先には厳しい世界が待ってるけど)。競技の普及?何それ?それが今やることなの?事前に知ってたら、会社休んで代表のユニフォーム着て、ダンボールでプラカード作って、JFAハウスまで押しかけたかもしれない。だって、まだ31だよ。自分と同年代だから、余計そう思うだけかもしれないけど。

単なるファンのエゴに過ぎないのは分かってる。本人にしかわからないこともあるっていうのは確かに正論だと思う。でも、金曜日の夜、最寄り駅のコンビニで「エル・ゴラッソ」を手に取った時、ぱっと浮かんだのが、ブラジル戦の終了のホイッスルがなった後、TVを見て嬉しくって友達に電話をかけまくった時のこと。試合自体は防戦一方だったけど、前園はあのチームの「象徴」だった。それだけじゃない。あの、日本サッカーを取り巻く全ての「象徴」だったと思う。帰りの道では、彼がいかに自分にとって特別な存在だったかを思い知らされ、目頭が熱くなってた。とにかく今は、誰に何と言われようと、辞めちゃダメってことしか考えられない。もっとも、彼にとっては、そうした多くの人の「思い入れ」が、かえって重荷だったのかもしれないけど・・・

「U-31」で成田の引退を知った時の河野も、こんな気持ちだったのかなあ?
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by silky_wing | 2005-05-21 14:37 | その他サッカー

研究者いろいろ。

今日は、会社の業務で研究会があって、さまざまな大学の研究者の方とお話させていただいた。
研究者といっても、いろんなタイプの方がいる。本当の意味で「学究肌」の方、政治家タイプの方、バランス感覚に優れた方、いわゆる「グッド・リスナー」タイプの方、実務家から転進された方、好奇心旺盛でいろんなことを吸収しようとされている方・・・
でも皆さん、パワーを持っている方で、楽しい時間をすごさせていただきました。エネルギーをもっている方とお会いして、自分のモチベーションを高めることができるのが、今の仕事での一番の喜びです。上司に怒られてへこんでる場合じゃないって。>自分
諸先生方、K主任、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

とそれだけだと、また脱力エントリになってしまうので、真面目な話も少しだけ。
もう言い古されていることではあるが、社会科学、とりわけ「政策」に関係する分野においては、政策過程における実務と研究を厳密に区分することは適切ではない。したがって、研究を実務の「従者」とする考え方や、実務から距離を置いた研究の方が「高級」であるとするような考え方には賛同できない。(私の指導教官の先生が、「研究も仕事も同じ」ということをよく言っておられたので、その影響もあると思う)
とすれば、「研究者」と「実務家」の区分もデジタルなものではなく、純粋な研究者/実務のわかる研究者/研究のわかる実務家/純粋な実務家といったスペクトルとして考えるのが妥当だろう。そして、この軸を縦軸として、行政/シンクタンク等の諸機関/大学など、所属している組織を横軸とすれば、この業界も、多種多様な構造によって構成されるものと考えられる。
現在は、こうした「政策市場」(by総合研究開発機構)はまだ未成熟・未分化であるが、今後、どのようになっていくか、自分がどのように生き残っていくか、一業界人として、考え続けていきたい。
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by silky_wing | 2005-05-21 00:35
昨日、体調不良で会社を休んだ。原因は不眠だったので、眠りを深くすべく、大学時代所属していた部活の練習に顔を出してきた。僕の現役時代はサッカーが中心だったので楽しみにして行ったのだが、練習はバスケットボールだった。元バスケ部の部員が指導してくれたのだが、やってみるとこれが面白い。僕はバスケについては、「スラムダンク」すらまともに読んだことなかったくらいのど素人なので、何から何まで新鮮だった。レイアップシュートって言葉すら知らなかったくらいだし。でも、スクリーニングなんて特にそうだけど、戦術的な部分はサッカーのセットプレーに近いのかなって思った。ボディコンタクトの部分は違うけど、ボール回しはフットサルが近いのかな。
2002年W杯のコスタリカ代表監督は、「バスケ理論」を取り入れていたという記事を、その時思い出した。
日刊スポーツ「コスタリカ代表ギマラエス監督」
Nくん、指導ありがとう。主将のKくん、大変だけど頑張ってね。Aくん、今度いろいろ語り合いましょう。
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by silky_wing | 2005-05-19 22:33 | その他サッカー
僕もささやかながら就職活動を行ったときに、「コミュニケーション能力」がないって言われたことがある(そういう意味では、あの頃の自分を拾ってくれた、現在の会社には本当に感謝している)

でも、昔そういう風に言われた立場からすると、「最近の若い人はコミュニケーション能力が低下した」という言い方には少し反論しておきたい。

社会学者の宮台真司氏は。かつては「会社」ないしは「同世代であること」(これに、「地域」を加えてもいいだろう)が共同体として機能していたが、こうした共同体が崩壊したことにより、コミュニケーションの不確実性が生じているのが現代であるとしている。今の社会は戦後日本においてかつてないほど「個」としてのコミュニケーションが求められる社会なのである。
また、マクロ的にみれば、就業構造の変化も大きいだろう。第3次産業の増加、要は、工場の労働者より接客業に従事する人が増えていることが、社会全体におけるコミュニケーションの必要性を高めているということも指摘できるのではないか。。
(ちなみに、いわゆる「マニュアル敬語」を批判する人にもそういう意味では反論しておきたい。あんなもの、単に社会全体のコミュニケーションの要求水準が高くなっただけ。昔の店員さんなんて、知らない人に対しては、駅の売店のおばちゃんくらい愛想がなかったと思いますよ。)

だから、「コミュニケーション能力」がないって言われたって、自信をなくさないでください。社会経験がないのに社会人としての話し方が上手じゃないのは当たり前。大事なのは能力じゃなくて、「伝えたいことがあるかどうか」と「伝えようとしているかどうか」です。そして、よく言われることですが、採用の最後の決め手は、「一緒に机を並べたいかどうか」です。だから、ちゃんと準備した上で、自分の人柄が相手に伝われば、きっとうまくいきますよ。面接官の中にだって、自分の会社でしか通用しない論理しか語れない人もいっぱいいます。僕の知り合いの話ですけど、面接のとき逆に「仕事でやりがいを感じるのはどういう時ですか?」って尋ねたら、答えられなかったっていうことだってあるくらいですから。

もっといえば、今年の就職活動がうまくいかなかったとしても、まだチャンスはあります。よく言われているように、企業は団塊の世代の引退を見越して、採用を増加させる方向にあります。だから、近いうちに第二新卒や転職市場が売り手有利になることは、十分考えられます。

とにかく、就職活動をされておられる学生さん。応援しますので、頑張ってください!!
(ご感想などありましたら、気軽にコメントしてみてください)
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by silky_wing | 2005-05-18 10:48 | 研究

日本型「都市間競争」

最近、「都市間競争」という言葉が良く使われる。しかし、以前、研究会である先生が、「「都市間競争」というのはアメリカの企業城下町を前提としたモデルであり、日本で使われるのには違和感がある」というようなことを言っていた。一部の職種を除けば外部労働市場がほとんどないといってもよい日本においては、確かにティボー・モデル的な「都市間競争」というのはありえないのかもしれない。

しかしながら、「都市間競争」という言葉が実感として当てはまる地域もある。大都市圏のベッドタウンにあたる都市である。確かに、近年先進的な施策を打ち出している市町村には、こうした地域が多い印象はある(※)。一例だけ挙げると、先進自治体として名高い横須賀市では、都市政策研究所設立の背景として「都市間競争」をあげているほか、各種行政計画においても、この言葉は多用されている。
竹内英樹「横須賀市の経営戦略―政策形成能力向上による新たな行政運営の展開―」

私の友人は、子供を通わせていた公立の保育所が直営から民間委託に移行することとなった際、保母さんが経験の浅い方に変わってしまうため、別の市(区)に引越した。住んでた地域の公立の保育所が良くなかったために引っ越すというのは、どうもよくある話のようである。

ちなみに、僕の実家は埼玉県の某市にあるのだが、たまたまそこの市長さんとお話する機会があって、今は実家から離れているという話をしたら、「帰ってきたくなるようなまちにしますから。」と言われてしまい困ったこともある(市長さん、ごめんなさい)。

首都圏に限っていえば、人口流入は既に止まっており、高齢化が着実に進行している。地価の下落に伴い都心居住も進んできていることから、首都圏では、限られた人口、とりわけ小さい子供のいる家族を「奪い合う」形になっている状況になっている。連坦している大都市圏での間で「都市間競争」というのも奇妙な言い方かもしれないが、「自治体間競争」は確実に存在しているといえるだろう。

参考:朝日社説「子育て支援 江戸川区のふしぎ」

※この仮説を検証するには、日経産業消費研究所が発表している「行政革新度」の総合偏差値(『全国市区の行政比較調査』)を一つの指標にして、これを人口規模と三大都市圏かどうかのダミー変数で分散分析をすれば、統計的に証明できる。昔の自分なら実際にデータを打ち込んで、SPSSで分析したかもしれない。しかし、逆に当事者に近い立場になると、こうしたアプローチはできないものである。研究者としては正しくないのかもしれないが、今の自分はそれでいいと思っている。

※※三日坊主になるのがイヤで、今日も書きました。私が敬愛するある行政学の先生(でもキャラは大阪商人)も「研究者は話を聞くのが7割、文献が3割。あと毎日一定量の文章を書くことが大事。」と仰ってたし、それに何より書いてて楽しいし。
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by silky_wing | 2005-05-17 23:38 | 研究
ジーコジャパンは不思議なチームだ。前評判と結果がこれほど一致しないチームも珍しい。
「黄金の中盤」を揃えてグダグダな試合を見せ続けた就任当初。
解任も取り沙汰された状況下の欧州遠征での見事なパフォーマンス。
国内組のみで反日ブーイングの中、何度もダメかと思った末に獲得したアジアカップ。
そして、「もう大丈夫」と思った最終予選での低空飛行。
いわゆる「黄金世代」の全盛期にしては物足りない内容に、監督への批判も数多い。

既に多くのサッカーサイトで論考がなされているので多くは触れないが、
ジーコ監督は選手の「自由」を重視する。
チーム構築に不可欠となる基本的な「約束事」すら、選手の話し合いにより決められているらしい。
現役時代、歴史的な名選手だったことから、徹底して「選手目線」で。
また、イタリアでは「サイボーグ」と呼ばれるほど自己管理能力が高かったため、
「こんなことは監督の言うことではない」と思っているのかもしれない。

一方、対照的なのが前監督のトルシエである。
トルシエといえば、「フラット3」に代表される「戦術家」としてのイメージがあるが、
最も特徴的なのは、その「メンタル・マネジメント」である。
軍隊的とまで言われるほど「規律」を重んじ、
時には不条理な手段を用いてまで現場に緊張感を持ち込む。

トルシェ、熱いです。
突然ヘンなことをします。
GK陣を罵ったり、いきなり「何秒でやれ!」とか言い出したりします。
小野君がフォロー入れたりしています。
さて、私はある映画監督と話したことがあります。
彼は、映画の撮影中、スタッフがちょっとでも「だれる」と、いい映画が出来ないと思っているそうです。
また、重い機材を使い、高圧電流、高熱になるライトなどを使う映画の現場では、ほんのちょっとの「だれ」も、実は危険につながります。
そこで彼は、ちょっとそれを感じたところで、わざと事件を起こすそうです。
例えば「そう言えば3カット前のところ、満足できなかったな」とか。
「今思いついたんだけど、ここの窓にカーテン欲しいよな」とか。
映画の現場で監督の立場は絶対です。
その監督が、そういうことを言い出したらスタッフは絶対にそれを成し遂げなければなりません。
「すわっ」と緊張が走ります。
全スタッフがピリピリします。
そうして、現場の「だれ」を彼は回避するのだそうです。
こうしたことは、ある程度の人数以上を率いて何らかの仕事をしたことのある人には、さまざまな形で意識されていることと思います。
ケット・シー「Blue Sky Blue」(http://otd11.jbbs.livedoor.jp/1118983/bbs_tree?base=735&range=1)


もちろん、こうした「やり方」に反発する選手もいる。

シドニー五輪代表候補だった頃、
人前で特定の選手を殴ったり罵倒したりするトルシエスタイルが納得できずに、戸田はある合宿でトルシエに直接意見をぶつけた。
「ああいうやり方は納得できない。僕はあなたが嫌いです」
それ以降トルシエは、やたら戸田に話しかけてくるようになったという。
大場健児「Sの極み」(http://www.s-kyoku.com/servlet/GetContentsDetail?report_ID=64)


選手ならずとも、こうした方法を間違っていると思う向きも多いだろう。しかし、人の上に立つ人間には、多かれ少なかれ、このような「不条理」が存在するのかもしれない。

 先日、知人とワンマン・オーナー社長の理不尽さの比較合戦をした。知人は現在勤めている先の社長のこと、僕は昔勤めていた会社の社長のこと。「こんなことがあったんだ」「いやいや、こっちはこんなことが」めくるめく不条理ワールドが手品のように次々と披露されていく。そのうち理不尽な人物像には共通項があることに気づいた。
 推進力がものすごいこと。運が強いこと。純粋であること。朝令暮改は朝飯前であること。基本的に他人を信用していないこと。そして、なによりも理不尽さの源としての、全てを引きずり込んでもやまない深い深い暗闇が、まるで暗がりで後ろを振り向いた時にガサッとうごめく見えないなにかのように、ぴったりと欲望の影に貼りついて潜んでいるということ―。
「ムズーリネット」(http://nzuri-net.com/long021225.html)


話が横道にそれたが、果たして、どちらの「やり方」が優れているのだろうか?
現時点での「実績」ではトルシエの方がは圧倒的に上回っている。ワールドユース、いずれの世界大会においても、グループリーグを勝ち上がっており、後任がこのミッションにことごとく失敗していることを考えれば、これは特筆すべき結果である。しかし、決勝トーナメント初戦はいずれも苦戦している。オリンピックでは下馬評では有利と言われていたアメリカに負け、ワールドカップではあっけない内容でトルコに負けた(準優勝したワールドユースもPKまでもつれ込んでいる。勝ったのはコンフェデ杯のオーストラリア戦のみ)。これは偶然ではなく、高い緊張感を強いる彼のやり方が、グループリーグ直後の試合の戦い方に微妙な影を落としているという見方はうがち過ぎとはいえないだろう。だが、当時ワールドカップで勝ち点すらあげたことのないの日本にとって、「決勝トーナメント進出」は困難なミッションであった。そのミッションを成功させる確率を最大化させる方法を遂行したという意味では、やはり彼は、完璧なプロフェッショナルといえるのではないか。

一方、ジーコジャパンの戦績は冒頭の通り。しかし、ワールドカップ最終予選での、ロスタイムの劇的なゴール、相手のオウンゴールなど、何度も続く偶然には必然的な理由が存在するものである。その理由を、彼の人徳による「結束力」に求める見方も間違っているとはいえない。良くも悪くも予想を裏切り続けてきたジーコジャパンである。準備期間が1ヶ月取れるワールドカップで、相手が弱くても強くても内容の変わらないジーコジャパンなら、あるいは・・・

余談ながら、自分が部下として仕えるならどちらを取るか?というのは難しい。
よくアンケートでやっている「理想の上司」という質問になら、僕は「岡田武史」と答える。
彼は監督としてはかなり厳しいようだが、彼の著書「蹴球日記」に見られるように、愛情に裏打ちされた厳しさを持っているからである。
しかし、その彼がトルシエのことを、「うまいだけの選手を戦える選手にした」と評価したことは、一応付言しておきたい。
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by silky_wing | 2005-05-16 22:58 | その他サッカー